ちょこっと日々のこと

今まで生きてきた私の中にあるもの

勇気を出して母のこと

母は38才の時私を産んでくれました。


かなり久しぶりの妊娠(姉とは13歳差)

だったので初めはそれと気づかず

胃薬を飲んでいたといいます(@_@;)


飲食店をしていて忙しく

また当時としては高齢出産だったので

産むことをかなり迷ったそうです。

危機一髪のところで私は今

この世に居なかったかもしれません…


母は私を産んだころから

躁うつ病(今は双極性障害と言います)

を患ってしまいました。

もともとは大人しい性格の人でした。


私の一番古い記憶は5歳くらいの時。

自分の里へ私一人を連れて行きました。

京都のデパートで買い物する母。

今でも記憶に残っているのは

マネキンが着ていた派手な水色のスーツ。

普段なら絶対に着ることのない服を買いました。


父が迎えに来て

私と母をタクシーに乗せて帰りました。

何時間もの距離でした。

そのまま母は病院に入りました。


フラットな時もあり

家の仕事もこなしていましたが

鬱のときは動けなくて違う人のようでした。

私が小中学生のときは

何度も入退院していたと思います。



そして今度は姉が出産後(20才)に同じ病になりました。

姉は父に似て喜怒哀楽が激しかったのですが

母と同じく、そう状態では一層明るく

朝は夜明けから起きて次々とものを片付け

喋り笑い…という様な。

母と姉が同時に入院していたこともありました。


私は小さなときから

「私だけはしっかりしなくてはいけない」

「私だけはならない」

と自分に言い聞かせていました。

病気のことは親しい友達にも話せませんでした。


今はウツという言葉が一般的に使われるようになりました。

「今プチうつでさあ」

なんて簡単に言う。

母の時代では完全に拒否されていた世界です。

母は孤独だったろうと思います。

たぶんそばに母の実姉が居たので話相手になってくれたのでしょう。おばちゃんに感謝です。



私の16のとき母が命を絶ちました。

フラットな時期だと誰もが思っていたので気づかなかったのです。

私が一番母に反抗的な時期でした。

最後に交わした言葉も冷たかったと思う。

私のせいなんだと思いました。


ずっと私の中にあります。

優しくしてあげれば良かった。

気づいてあげれば良かった。

もう何も戻りません。


母が亡くなってから教えてくれたことが沢山あります。

私は強くなることができた。


お母ちゃん

産んでくれてありがとう

私は60になったよ

お母ちゃんの齢を越えたよ

少し年上になったから

色んな話ができるね


いつも私を守ってくれてありがとう


合掌